ハードコアパンク2

リップクリームのことを書いたらハードコアのことを書きたくなった。


ハードコア。
ハードコアパンクという音楽ジャンルが確立するまでは、ハードコア=ハードコアポルノだったと思う。
それがあれよという間に、ハードコア=ハードコアパンクとなり、ハードコアポルノは死語になってしまったが、ハードコアパンクに関することを思い出してみた。


第一の遭遇は白(kuro)。当時は中2だったと思う。下関出身のバンドで、1STソノシートに針を落として驚いた!
これがハードコアか、と妙に納得した覚えがある。
微妙な録音状態だし、歌詞はほとんど聞き取れないのだが、一発でノックアウト。下関弁で言うと、「はぁ、ぶちスゲぇ」
白を知る前はスターリンとかアナーキーを聞いていたんだけど、そういうバンドが霞んじゃったよね。(両バンドとも好きです)
そこからハードコアパンクを中心に所謂パンクロックってやつを意識的に聞き始めた。
東京に帰ってきて高校に入ると、なんとパンク好きのクラスメートがいて、パンク熱が一気に加速。(ただしヘヴィメタルも同時進行してたけど、割愛)
ギズム、ガーゼ、ラフィン、ウィラード、ガスタンクなんかの有名どころはばっちり押さえつつも、ちょいマイナーなバンドも聞いてた。
エクスキュート、クレイ、カムズ、ビトウシャ、ガイ、コンフューズ、あぶらだこ、G-ZET、LSD、SEXUAL、オウトなんか思い出す。
洋物はやはり御三家、ディスチャージ、GBH、エクスプロイテッドに加えDISORDER、VALUKERS、CHAOS UK辺り。USハードコアは全然聞かなかった。


白(kuro)が個人的歴史的名盤「WHO THE HELPLESS」を出して、ハードコア熱真っ盛り。今も墓まで持っていきたいベスト10に入りますわ、フーヘル。(なんとエクストリーム・ノイズ・テラーがカバーしてる)
髪をオキシドールで脱色して、ダイエースプレーで逆立てて、安全ピンで洋服をデコレートして、今思うとちょっと恥ずかしいが、当時は先端を行ってると信じて疑わなかった。(恥)
ドキドキしながらの初ライブハウスはJAMだったけかな?アンチノック、ロフト、屋根裏、みんな懐かしい。ギグ(死語?)が終わると、Tシャツが汗びっしょりになって風邪ひいたりね。
愛読書はDOLLとロッキンFと宝島。情報誌はぴあよりシティロード派だった。
DOLLの自主制作レーベルの広告がシーンの生々しさを伝えていて、特にADKのが好きだった。ある電話番号に電話すると、留守番電話にタムの声と新しくリリースされたバンドの曲が聞けて、「これぞ自主制作」ってノリだったなぁ。

そのころだったか、「ハードコア不法集会」というオムニバスアルバムがリリースされて、即購入。ポスタージャケットには死体の写真が多く、高校生には強い刺激だった。
このアルバム、当時の有名バンドがぎっしり詰め込まれていて、今もたまに聞いているが、リップクリームが全然古さを感じさせないね。
先見の明があったというか、四半世紀経っても通用するんだもん、凄い。
ホールドアップからリリースされた1STシングル、AAからの2NDでもう虜になってしまった。
リップクリームはメンバー全員がすごく存在感があって、「バンド」感が強かった。ジャジャさん、ミノルさん、ナオキさん、ピルさん、全員カッコいい。
その後、コンスタントにアルバムをリリース。どれも好きなんだけど、敢えて1番を選ぶとしたら・・・「9SHOCKING TERROR」かなぁ。「危機」も捨てがたいけど・・・。
嗚呼、再結成ライブ見たい気持ちが昂ってくるので、これくらいにしとこう。